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『心理学ワールド』第57号に寄稿

2012/04/15 21:12 に Asako Miura が投稿   [ 2012/04/18 4:34 に更新しました ]
日本心理学会の機関誌『心理学ワールド』第57号に拙文が掲載されました.『心理学ワールド』は, 心理学関連の情報を掲載した啓発・情報誌で,一般の方でも気軽にお読みいただける内容となっています.私が寄稿したのは「東日本大震災から1年」を期とした特集で,日本社会心理学会が展開している震災支援サイト立ち上げに関する顛末を書かせていただいたものです. 「社会心理学者かく闘えり」という些か大仰なタイトルをつけてしまいました.表紙にも載っていて,ちょっと気恥ずかしい…

実はこの寄稿文,掲載されているのは「超過激ダイエット版」で,本来の原稿はもう少し長いものでした.Twitterのタイムラインを掲載するのに予想より多くの紙幅を取ったために,泣く泣く削った部分がたくさんあります(本誌掲載の体裁で53行も!).そうすることはやむないこととしてもちろん了としたわけですが,一方で削った部分は決して余分なお肉や脂肪というわけではないので,ここに初稿の「全文」を掲載させていただきます.添付PDFには表も掲載しています.

社会心理学者かく闘えり

 東日本大震災発生から1年.まだ復興への道のりは遠く,地震・津波に加えて原発事故に伴う放射能被害を含む複合災害は,今後長きにわたりわれわれを取り巻く環境に大きな影響を及ぼし続けるだろう.一方で,震災と人間の心理や行動の関連を検証する心理学的研究は既に多く着手され始めており,私もそれに取り組む研究者の一人である.また,特に震災直後には,自身の研究成果や従来の心理学的知見を的確な現況の解釈や行動選択に資そうとする試みが多くみられ,一種の「災害ユートピア」的な状況が出現した(ソルニット, 2010/2011).本稿は,こうした心理学者たちの動きの広報を目的とする日本社会心理学会の震災特設サイト「東日本大震災を乗り越えるために:社会心理学からの提言と情報」(http://bit.ly/jsspjishin)を構築するまでの,社心学会広報委員会と一委員である筆者の活動の記録である.活動のほぼすべてはツイッターとメーリングリスト(ML)により展開されたため,ここでは主にツイッターのログにもとづいて震災後の約2週間を振り返る.心理学の研究成果を社会に還元する試みの1つとしてお読みいただければ幸いである.

震災前~震災直後
 表1に,筆者(@asarin)のツイッター上での発言(ツイート)から,この活動に深く関わるものを抜粋して時系列順で示した.3.11は,やや大きな仕事をすませて,久しぶりに研究室でのんびりと過ごそうとしていた週末だった(TW1).震災第一報はツイッターのタイムラインで知った.東京や千葉,あるいは函館で強い揺れを感じたというツイートを目にした直後(TW2)から,次々と入る地震速報(TW3)や報道機関からの情報が画面を埋め尽くした.穏やかな気分は雲散霧消し,ぴくりとも揺れない足下の地面とモニタに映し出される津波の中継動画とのギャップがどうしても理解できず,悪夢を見ているような気分で週末を過ごした.この頃ツイッターに投稿された発言の多くは情報転送を意図するリツイートであり(三浦, 2012),それ以外の手段も含めて多くの人々は自らのもつ情報をなるべく多くの他者と共有しようと必死だった.転送された情報の中には事実に基づかないものも多くあったが,ある会員から広報委員会宛に「関西電力からの節電要請」の学会メールニュースでの配信希望が寄せられるという事態が発生したのは3.12深夜であった.もちろん丁寧にお断りしたが,このできごとは,心理学者がすべきこととその広報方法について筆者に考えさせるきっかけとなった(TW4).

雌伏期
 週明け,震災に関する情報収集を続ける中で,いくつかの「声」を目にするようになった.それは,震災直後の混乱した状況でわれわれがどう行動すべきかについて社会心理学者という立場から情報を提供しようとする試み―中越地震時の避難所研究にもとづく辻竜平氏によるもの(TW5)や,現に被災地にあって日々の生活にも不自由する中で発言する飛田操氏(福島大学)によるもの―であった.これらをなんとか多くの人の目に触れさせて,今どうすべきかを考えてもらうための一助としたい,社会心理学者にもできることはあるはずだ,という思いを強く抱くようになった(TW6).

個人的活動期
 しかし個人の力ではいかんともしがたいのではないか,とじりじりしながら関係学会の動きを探っていた筆者(TW7)は,一方で,社心学会サイトを置いていた国立情報学研究所(NII)のサーバが計画停電の影響で断続的にダウンする状況に苛立ってもいた(TW8).そんな筆者の背中を自身での具体的な活動の展開に向けて強く押したのは,広報委員としてともに活動していた藤島喜嗣氏が自身のブログであげた「声」だった.社会心理学の研究は必ずしも実社会に還元される必要はない,基礎的知見の積み重ねこそが大事だと言い続けていた彼の逡巡の挙げ句の行動は,筆者にとって特別な意味を持っていた(TW9).声をあげられる,あげるべき社会心理学者は数多くいるのではないか.そのための場所を用意すれば,かれらの背中を押せるのではないか,と考えたのである.そして,学会サイトを更新するのが難しいなら,この際自分たちで立ち上げよう,と.

委員会活動期
 サイト立ち上げを決意したのが3.16の午前中.上記の「声」へのリンク集を個人的に作成・公開したのが12時過ぎ(TW10),広報委員会MLで「この活動を私個人によるものではなく,日本社会心理学会広報委員会のものとして,今後推進していくことはできないでしょうか.」と提案したのが16時前.すぐに広報委員長(当時)の川浦康至氏からの支持と委員の一人・五十嵐祐氏(北海学園大学)からのGoogleサイト使用の推薦が得られ,さらに五十嵐氏はすぐに作成に着手して,19時にはひな型を完成させてくれた.その後,MLでの議論を経て,23時頃には「学会広報委員会が運用する」震災特設サイト公開に至った(TW11, 13).この間わずかほぼ半日であった.
 初動から公開までの速さを支えたのは,学会執行部が広報委員会の活動を全面的に支持し,独断的行動を黙認してくださったことである.事務局長(当時)の北村英哉氏は,筆者とのツイッター上でのやりとりの中で「もし広報委員会がサイト作成に向けて動くなら常任理事会はそれを追認する」とのコメントを下さったし,会長の安藤清志氏は,サイトに掲載する会長コメントをすぐに寄せて下さった.こうしたオーサライズを迅速に得られたことは,われわれの活動の強力な基盤となった(TW12, 18).また,公開後のコンテンツ充実への駆動力は,広報委員長の川浦氏が,委員たちが心置きなく暴走できる環境を維持してくださったことであった.メンバー6名のMLで交わされたメイル数が最初のサイト作成の提案から3.24までの間に500通近くに達するという異常な状況の中で,常に穏やかに,ある意味のんびりと若輩者たちを見守ってくださったことが,単なる「声」へのリンク集にとどまらないサイトにするための動きにつながったことは間違いない.
 そして,多くの会員がこの動きに呼応して続々と「声」をあげ始めてくださったことが「ここで突っ走らなくてどうする」という気持ちを高めていた.主たるコンテンツは社会心理学からの「提言」と「情報」の2つだが,前者は,メールニュースで提供を募集したり,これと思った方にはこちらから声をかけたり,時にはサイト作成のサポートもさせていただきながら,着実にリンク先を増やしていった(TW17).リンク先記事の信頼性や妥当性を保証すべきかどうかはかなりの議論となったが,最低限の学術性をもつものであれば,たとえ意見の相違があったとしてもすべて含めるのがむしろ学会運営サイトとしてふさわしいと判断した.後者は,海外のニュースサイト等に掲載された震災と心理学に関わる記事を探索して日本語抄訳を作成するものと,学会誌『社会心理学研究』の中から関連論文を抽出し,著者と連携して一般市民向けの抄訳を作成するものの2つがあったが,メンバーだけではとても手が回らないので,若手研究者の有志ボランティアを募り,委員の主導のもとで続々とコンテンツが加えられていくこととなった(TW14, 15, 18).
 こうした力に支えられた委員同士の「あうんの呼吸」による作業分担もスムーズかつ絶妙で,それぞれがやれることをやれるだけやるというスタンスが徹底していた.委員のうち藤島氏と森津太子氏(放送大学)は在京で計画停電の多大な影響を受けていたため,日常的な更新作業は主に五十嵐氏と筆者が担い,サイト運営方針の整理やボランティアのとりまとめなどをお任せする,といった具合であった.筆者にとっては,社会に資する社会心理学者として行動しようとする熱い思いをこれほどまでに多くの人と共有できたのは初めての経験で,震災をきっかけにしたものでなければよかったのに,と思う一方で「私はしたかったことはこれだった」という感慨も深かった(TW19).この活動を通じて,社心学会という枠を越えた新たなつながりを形成することもできた.
 そして3.24,ようやく学会サイトからのリンクが完了し,名実ともに「日本社会心理学会による震災特設サイト」となった(TW20).その後ほどなく,学会サイトも独自ドメイン(http://www.socialpsychlogy.jp)による運用に移行し,今に至っている.
 その後 4月下旬,広報委員会は委員長と一部の委員が交代し,新体制が発足した.委員長は池田謙一氏(東京大学;コンテンツ提供者でもある)に交代し,藤島氏と森氏は委員としての4年の任期を終えたが,サイト運営に関するスタンスはいささかも変わっていない.そして震災から半年後の9.18-19に開催された第52回年次大会で,特設サイト運営の中締めという意味を込めて,長期的な復旧・復興のビジョンを考える上で,社会心理学者は何ができるのか,何をすべきかについて議論するシンポジウムを開催した.当日はオンライン生中継を実施し,現在もアーカイブ動画を公開している(http://www.ustream.tv/recorded/17944535).これも,われわれの活動をなるべく広く社会に還元したいという思いを具現化する試みの1つである.

 ここまで私事と私情をふんだんに交えながら活動を振り返ってきたが,これが本当に社会の役に立ったのかと言われれば,よく分からない.おそらくその影響はごく小さな範囲にとどまっているだろうし,われわれは相変わらず「あまりにも知られていない」だろうし,それを「知らない方が悪い」と言える状況でもないだろう.しかし,ただ「これができる(はず)」という理念にとどまらない「とにかくやった」という経験の共有が無形の財産となったことは間違いない.これがわれわれの独善的な満足にとどまることなく,より被災者の方々に資するようなものとなるべく,今後も息長く活動を継続していきたい.

引用文献 
三浦麻子 (2012). 東日本大震災とオンラインコミュニケーションの社会心理学―そのときツイッターでは何が起こったか― 電子情報通信学会誌, 95(3), 219-223. 
レベッカ・ソルニット(高月園子 訳) (2010). 災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか 亜紀書房.
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Asako Miura,
2012/04/15 21:12
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